はじめて知る悲しみ
 5年程飼っていた犬が、ジステンバーに罹った。潔癖な犬で、犬小屋から20メートルも離れた藪のあたりを「ふんし」の場所と決めていたが、麻痺した下半身を引きづり必死にそこまで通う姿を見て哀れに思い、お医者へ連れて行くことにした。
「なおるの?」不安げにたづねる5歳の息子をなだめて、門を出た。
「可哀想ですが、安楽死・・・・・・・・」と言われ、病犬を残して診察室を出た。
扉を閉める時、私を追う彼の眼に心が動いた。
一輪の花が添えられた遺体を伴ない、重い足取りで帰宅した。
「コリーちゃん、なおったの」息子の声がふるえていた。
全てを聞き終わらぬうちに彼は駆け出していった。一時間余り経っても帰ってこない。家中総出で探した。
見つかった。人気のないお堂の裏に佇んで、西の空に向かい、手放しで泣いていた。
私はこらえていた。人にいじめられたり、痛い目にあって泣いたことはあっても、愛するもののために泣くのは生まれて初めてのことである。
これからの長い人生、この悲しみの涙は、この子にとって必ずや大きな意味を持つに違いないと思った。
それから二十年、すっかり大人になった今でも、あの涙の俤を彼に見るのである。