菩薩の化身
 浜の真砂と何とやら、いつの世にも悪人の絶えたためしは無い。人を見たらドロボーと思え、という戒めを否定できないのが悲しい現実である。
しかし一方では、汝の敵を愛せよ(聖書)ともいう。
この二つは相矛盾するようであるが、そうではない。前者をよく踏まえた上で、もう一つ高い立場に立って人と交わる事を教えるものであろう。
 菩薩は、人を救うために、様々なものに身をかえて、私たちの身近にいる、という。
 憎らしい者も、あるいは菩薩の化身であるかもしれない。
 長い間、怨んでいたのに、いろいろと事情が解ってくると、実は有難い人だったと気づき、慙愧の念にかられる事も少なくない。
 フランスの著名な社会学者コントは、
 「敵があるから、こちらも伸びるのだ」という意味のことをいっている。
 商売仇があるから、頭も使い、働きもする。菩薩の化身と思えば、けんかをする事もなかろうし、栄えもしよう。
 議論も論争も世の常であるが、心の底に、彼もまた化身であるかもしれない、と思うことができれば、騒々しい世の中を今よりは静かに豊かに生きることができよう。
 まして、身近に接している人に対しては、なおさらのことである。