享けているもの                    


 金銭の貸借についての中学生の調査がある。それには学友間での貸借についてのものであるが、興味深いのは、貸したことは、金額はもとより日付さえも記入しているのに、借りたことは、ほとんど記入していないことだ。双方を照らし合わせて、本人に質すと、「たしかに借りました。思い出しました」という。貸した方も、未返済分については、」十円でも良く記憶しているが、返済済みの分については忘れている者が多い。
あれほど尽くしてあげているのに、と相手をなじり、いがみ合って、不和となる人たち。また、こんなに真面目に働いているのに、少しも良いことが無い、あんな奴が栄えているとは、この世は矛盾に満ちている、神や佛はどうしたんだ、と愚痴をこぼす人たち。
この人たちは、借りたことを忘れている子供をしかる資格はない。あげたことだけを憶えていて、相手からもらったことは忘れ果てている。
世間さま、お天とうさまと、年寄りがよく口に出していたが、そういうものから、天地から、莫大なものを頂いているはずだ。それでなければ生きてはいられない。
お金はともかくも、その人のおかげで、楽しい時を過ごしたこともあろう。また気付かずにいるが、陰の力となってくれたこともあったかもしれない。いたずらに天を恨み、人をなじるのは知が痴となって心が病んでいるからだ。