病を看とる                  

 五十ちかくになって、はじめて大病にかかった知人を見舞った
病気とはほとんど縁の無かった君が、という私に対して、「悪いことをしてきたよ」と後悔する。何か体に毒になるようなことでもしたのかと思っていると、 「はじめて病人の気持ちが分かったんだ。家族をはじめ病気にかかった人たちに、随分と邪険なことをしてきたことが気になってしょうがない。そういういみでは、今度の病気に感謝したいくらいだ。五十の手習いか」と、彼はてれかくしに笑っていた。
 看病とは本当に大変なことだ。真心を尽くしているのに罵られる。右だというからそうすると、どうして右にしたんだと怒鳴られる。ついには、「お前の顔など見たくない」とさえ言い出す。無理して大事な仕事とも投げ出して看護しているのに・・・・・・。情の無さの余り、勝手にしろとさえ言いたくなる。
 
しかし、そう思ったら看病する資格はない。病人の言動は全て病のなせる業であるからだ。
病人に対する深い思いやり、どんな事を言われても笑顔で受け止める心を失ってはならない。原始佛典である阿含経のことばを、病人をかかえている人々におくりたい。
『それ病者をみとるすることあらば、即ち佛をみとるとなす。病をみとるは、この世の施しの中において最上にして、この施しに過ぐるものなし』と。