情に生きる
 私は寺の生まれではない。もし、祖母がいなかったら別の人生を歩んでいた筈だ。
 13になった時、「寺へ入ってくれないか」と祖母にすすめられた。私には毛頭そんな気はなかった。「嫌だ」と断った。たまたま知人に萩須立平氏(ノモハン事件の師団長)がいて、
「幼年学校へ入れ」と盛んに勧めていたことにもよる。勇ましい軍人の姿にあこがれて、私はその気になっていた。
 なん日かたって、また祖母がすすめたが、私の返事は変わらなかった。幾度か繰り返された。
そのうちに涙を流し頭を下げて頼み始めた。
 ついに私はその情に負けていってしまった。
「オバアちゃんが喜んでくれるなら」
それを聞いて「いつ死んでもいい」といった。
 日頃から信仰の厚かった祖母は、殺伐なほうへ私をやらせることが耐えられなかったのかもしれないと、あとで察しがついた。
 進路の決定は人生の重大事である。最近の教育界では、本人の希望・能力・適正に応じてと、
やかましく論議されるが、そうした考えからすると、私の場合は全く非教育的であり、「祖母の情にほだされる」という前時代的な浪花節調そのものであると非難されるかもしれない。
 しかし、私は今その事を悔やんではいない。それどころか、必死に口説いてくれたことに深く
感謝している。