うしろ姿に
 お客様を送る時は、姿が見えなくなっても、すぐ立ち上がること無く、その人の残り香をしばしなつかしんでからおもむろに奥へ戻る。ましてや送り出すやいなや、戸を閉めたり、灯かりを消したり、声高に話すなどは、固く慎まなければならない。これは茶道の大切な心がけの一つでもある。
 江戸初期の儒学者、中江藤樹の母は、訪ねてきた我が子を厳しく諭し師の本へ追い返したが、雪の中を去って行く少年藤樹の後ろ姿に手を合わせていた。それを知った彼は、必ず立派な人になろうと心に誓ったと言う。
 人が見ている時には格好をつけるが、見ていないと、気を抜いたり、なげやりになったりする。見ているからやるのでは、それは見せかけのものに過ぎない。見せかけには、見せかけの反応が返ってこよう。
 眼は顔だけにあるものではない。うしろにもある。うしろの眼は心の眼である。
「うしろには眼がない」とは、愚かな言葉だ。
 前よりも、後ろの眼が恐い。
 前の眼はごまかせても、後ろの眼はごまかせない心の中を見られてしまう。後ろ姿にこそ真心をもって対しなければならない。
 去って行く人の、後ろ姿に深深と頭を下げる人は、また心の眼を開いている人であるといえよう。